金沢市伝説の激ウマ名店『ナンバーギョーザ』を、第一~第八までぜんぶ巡ってみた
|金沢では北斗七星のように煌めく「ナンバーギョーザ」なる隠れた餃子の名店たちが、ひそかに長年愛されているとウワサで聞いた。
これは餃子の美味しい「第一餃子」という店から暖簾分けをした順に第二、第三…と名前が付けられていき、しかもことごとく美味しい、という伝説だ。
いつか確かめたい…と何年も悶々としていたら、とうとう数日間の休みが舞い込んだ。ネットでありったけの情報を調べて、マップを作成し、バスタ新宿最安レベルの、2000円の夜行バスへ飛び乗った。
朝の雪の洗礼を浴びる中、着いたぞ金沢駅!
実はこのナンバーギョーザのうち、現存しているのは第5~7まで。他の店舗は閉店している。そして今や金沢でも、知る人ぞ知る存在で、今や知らない人も増えている。
そんな、時代に埋もれつつあるウラ・ギョーザカルチャー。それを、仕事でローカル情報を良く調べてきた俺が調べずに、誰が調べる?
これは消滅した店舗の跡地探訪も含め、「金沢ナンバーギョーザ完全制覇」に挑んだ、1人の独身男の記録だ。
【たぶん、日本最大のギョーザ店!第7ギョーザの店】
ケンミンSHOWなどでも話題となり、8番らーめんらと並ぶ、県民永遠のソウルフードと呼ばれるギョーザ店。中心部からレンタサイクルを馬車馬のように延々と漕ぎ、雑木林も増える郊外にそいつは現れた。
3階建ての大きな建物の中は、1階が35席のカウンター席、2階は28部屋もの個室があり、3階は洋室(85人まで)と和室(35人)の2部屋の団体用個室がある。従業員の数は、アルバイトも含めて約100人という、ギョーザ界の巨人。(もしかすると、日本最大のギョーザ店かも知れない)
まだ昼前の11時15分ほど。空席はあるだろう…と入店すると、すでに店内は満席。それどころか、うなるほどの待ち人の数。壁側にある椅子に座り、空くのを待つ。
長いカウンター席が、コの字型に並んだ、独特の座席のレイアウト。
後からどんどん人がやってきて、たちまち店内に40人位並ぶ、恐ろしい人気。まだ昼前だぞ!? そのまま20分近く待って、ようやく席に通された。
数人ずつ席に通され、店員さんがいっぺんにオーダーを聞いていく。餃子に加えて、ごはんと汁物を一緒に頼むのがデフォで、大体の人はその3点セットで頼んでいた。
————————————————————————————————–
実は以前、第7ギョーザへは来たことがあり、そのときはホワイト餃子10コ(450円)を注文した。
この「第7ギョーザの店」は、ナンバーギョーザの系統であると同時に、由緒正しき名店・ホワイト餃子グループにも、後に加入している。北陸では唯一の、ホワイト餃子と呼ばれる、ダイナミックな餃子が食べられる店でもあり、さらに材料は独自に調達して、この店ならではの味を出している。
醤油とラー油を付けて豪快に頂く。凄い。何かカラアゲみたい。ガツンガツン歯で豪快に砕いて喰う、びっくりワイルド食感。
普段食べる、舌に吸い付く餃子の皮とは全く違い、食べる側もパワーが必要とされるような、スタミナフードだった。
—————————————————————————————————
しかし今回はホワイト餃子では無く、焼き餃子大(7個 441円)を注文した。
ナンバーギョーザのホントの正統的餃子で、通が頼むのは『焼き餃子』らしい(第7さんが元々の修行で身に付けていた餃子は、ホワイトでは無くこちらの焼き餃子なんです。ホワイト餃子は後に修行で伝授されたもの)。
ただそれは知られておらず、焼き餃子を頼む人は少なかった。ホワイト餃子はすぐ到着するが、焼き餃子は10分ほどかかって、待ちに待った着丼だ。
ホワイト餃子の無骨なフォルムとは打って変わり、焼き餃子は丸っこく、かわいいフォルム。ただ、丸々ガッシリと重い具材が詰まっている。
パクつくと、香味野菜の香ばしさが鼻に広がる。パンを思わせるような小麦粉の芳しさが嬉しい。
噛んだときの豊潤な味わいが、味覚をとことん満足させてくれる。あと引くウマさだ。これは正直、ホワイト餃子よりもぜったいウマい!
豚汁も、お雑煮みたいで面白いスープの味で、焼き餃子の名パートナー。
ごちそうさま。ウマいものを食べた後に特有の、満足感とともに店を出る。
【第八ギョーザなんて、存在しなかった!?】
次に向かうのは、第八ギョーザ跡地。事前のネット調べだと、小立野小学校の裏にあった銭湯の近くにあったという。
「一般的にナンバーギョーザは、第一~七まで」と思われている事が多い。が、ネットで「第八ギョーザの野菜炒めは永遠の味!」と想い出を語っていた方が居たのだ。
出典:旅行会社のセールスマンの方のブログ
その、小立野小学校の銭湯の近くと思われる場所へ足を運んだ。
雪がしんしんと降る金沢の寒い昼。近所の80歳位のおじいさんに話を伺う。だが、
「えぇ? 第八ギョーザなんて…知らないよ?」
という、予想外の返事。
「第七ギョーザのことじゃないの…? ちがうの? 第八ギョーザぁ…??」
と、ピンときてない。ここに住んで数十年、第八ギョーザには、とんとお目にかかったことは無いとか。
疑心暗鬼になりつつ、近くの八百屋さんの35歳の若旦那にも聞いた。
忙しい中で親切に応対してくれたが、彼も生まれてこの方、このへんに住んでいたものの、第八ギョーザの存在は、一切知らないという。
「なんだやっぱり、第7までか…」と未確認情報に踊らされた自分が哀しくなりながら、その場を後にした。(そのウラにあった、重大な事実はまだ知る由もない)
【第一、第二、第三…跡地の詳しい場所が出てこない!】
郊外を離れ、中心部にある第1、第2、第3のありかを探す。
まず第三ギョーザがあると聞いた、橋場町へ。
第三ギョーザは、シティモンドホテル(現:老人ホーム)の近くにあり、隣は園という喫茶店がある…らしいが、それらしきものは見当たらない。看板はまだあるというネット情報もあったが、見つからない。
通りがかりの方に次々と声をかけるも、多くは「知らない」の返事。ただ、中には「寿司屋の並びにあったかも…」と教えてくれた人も居て、そこを撮影し、並木町にあるという第二ギョーザの跡地へ。
第二ギョーザは、ナンバーギョーザにとって特に重要度が高い店。
ナンバーギョーザの祖となったゴッドマザーが、柏野辰子(旧姓:原)さん。その辰子さんがはじめて本格的店舗を構えたのが、この第二ギョーザの店なのだ。ここから巣立った弟子たちが暖簾分けの形で、第三、第四、第五…と出店していったと聞く。
そんな第二ギョーザは、在りし日の貴重な写真が残されている。
時代を感じさせる写真。これを持って、近くの観光案内所・はやし菓子店さんの、眼力の強い店主にお話を聞く。この方がめちゃくちゃ愛想良かった。
「面白い旅ですね。並木町は川沿いです。そこに昔からある、魚常というお店があるので、第二ギョーザはそのへんだと思いますよ。今ではマンションになっているかも知れないなぁ」
有力な情報をくれた店主に礼を言い、向かう。川沿いの道に、確かに魚屋はあった。ただ…この並びのどこにあったか見当がつかない。
たまらず、周りの人に聞くも、詳しく知る人は居ない。
「確かに、ギョーザ屋さん、あったわね。この近くには映画館もあって・・・」
昔話が出てくる人も居たので期待するも、詳しい第二ギョーザ店の場所は出てこなかった。
さらに、第1に至ってはホント情報が出てこない。尾山神社の近くでやっていたという話はネットにあったが、そこで人をいくら呼び止めて聞いても、新情報は皆無だった。
ましてや第四に至っては、色んな方についでで聞いても、手がかりゼロ。
もっと知っている人が多いと思ったが・・・
金沢市民でも知る人の少ない、消え行くギョーザ文化。ナンバーギョーザのコンプリートは、僕が思っていたよりも、圧倒的に難しかった。
僕は最後の手段に打って出た。
【頼みの綱、図書館は……お休み!】
「電話帳に当時の住所があるかも…!?」
僕は、石川県立図書館に電話帳があるか電話した。しかし今日に限ってまさかのお休みで、電話が繋がらない。ネットの蔵書検索機能では、電話帳の情報が出てこない。
業を煮やした僕は、金沢市内の図書館に連絡し、どうにかそちらの裏ルートで調べてくれないか、と頭を下げた。その結果、何とか「昭和41年からの電話帳がある」というスーパーな朗報を聞き出した。
「これなら、何とかなるかもしれない…」
本日は早めに宿を探すことに。
【日帰りの予定→1泊2日に変更!】
低賃金な僕は、
①「じゃらん期間限定500ポイントが使える」
②「とにかく安い」
③「駅から近い」
④「レンタサイクルがタダ」
⑤「朝食無料」
という5点から、ホテルエコノ金沢駅前(4500円)に決定。
15時ちょっと過ぎにチェックイン。この部屋で一旦落ち着き、「となりのテレ金ちゃん(テレビ金沢)」を見る。地方局の情報番組特有の、妙にホッとする雰囲気。
ちょっと癒やされてエネルギーを回復したら、早めに出かける。16時から、第五ギョーザがオープンするのだ。
【素朴かつナンバーギョーザの味を継承する、第五ギョーザ】
最古の現存ナンバー餃子の店となっている、「ギョーザの店 芳斉店(旧店名第五ギョーザ)」。すでに店名は変わったが、マニアたちには正真正銘の「第五ギョーザ」として知れ渡る。
途中現れる、あぶない掘っ立て小屋を素通りしつつ向かう。
金沢の住宅街に突然現れる第五ギョーザは、実に家庭的な雰囲気。テレビからは地元局制作のニュース番組が流れる。ウットリするほど懐かしい雰囲気。
昔ながらのワープロで書きました、という感じの素朴なメニュー表から、ナンバーギョーザ直伝の焼ギョーザ(5コ300円)に加え、揚げギョーザ(5コ300円)と焼酎(400円)を注文。
焼き餃子が到着。
餃子の底の部分に野性的な焦げ目がある。これは、第7ギョーザの焼き餃子にもあった特徴だ。レトロなアルミの皿がまた嬉しい。食べてみると、「カシュッ」という食感も楽しく、焦げめも香ばしい。
中身が詰まっているし、質感や餡の風味は第7ギョーザの焼き餃子に似てる。「パンのような皮の風味」も共通だ。お店の家庭的な雰囲気にも合った、具材の美味しさと皮の香ばしさが引き立った、ウマい餃子だ!
揚げギョーザも美味しく頂いた所で、焼酎の勢いも手伝い、つい聞いてみた。
「僕、第一、第二、第三…って続いてる、ナンバーギョーザを探しに来たんですけど…」
おっかなびっくり切り出したが、「へえ、それ探してるんだ!」と、身を乗り出して色々語ってくれた。
そして、いきなりびっくりするような情報を話してくれた。
【第八ギョーザはあった!】
近くに住んでいたはずの方たちが誰も知らず、想像上の幻の店舗と思われた、第八ギョーザはあった!
「第七ギョーザの近くにあったよ」とのこと。
かといっても、「35歳の人も知らなかったですよ」、というと、
「それは知らないかも知れない。あったのは、それより前の話だから」
第八ギョーザがあったのは、こちらが思ったよりも昔だった。
さらにご主人は、とんでもない事を言ってのけた。
【第四ギョーザはなかった!】
ここまで来て、異常に情報が少なかったのが、第4ぎょうざ。ネットで調べても、出会った人たちに聞いても、知っている人が誰も居なかった。「難攻不落の第四ギョーザ」だと思っていた。が、しかし。
「第四ギョーザ?無いよ。縁起が悪いから、第四は欠番なんだよ(「死」に繋がることから)」
という、まさかの返事。これはどこにも無かった情報だった。確かに、全く情報が出てきていないというのはおかしい。
「そりゃあ、全然情報が出なかったはずだ!」
目の前に広がっていた真っ黒な雲がスッと晴れて、青空が広がった。
【第一ギョーザは、朝日生命のウラにあった!】
さらに、大苦戦するであろうと思った第一ギョーザの場所までわかった。その場所は、「朝日生命のウラ」だという。
1000円位の服に身を包んだ、得体の知れない旅人にここまで教えてくれたご主人と女将さん。そこには、金沢のギョーザを影でリードしてきた人の誇りがかすかに感じられた。
しかし、それぞれの詳しい住所まではわからないという。ということは、やはり自分で調べるしか無い。
そして、3杯目になっていた焼酎を飲み干し、僕は第五ギョーザを後にし、次の第六ギョーザへ向かった。
【居酒屋みたいなギョーザ屋だぜ!第六ギョーザの店】
金沢駅から離れ、西金沢駅の近くにある第六ギョーザの店。
まるで渋い個人経営の居酒屋のようで、気後れする。が、勇気を振り絞っていざ入店。
中はまるで寿司屋のカウンターのような、古き良き居酒屋の佇まい(店内は撮影禁止)。その完成された雰囲気に強く気後れするも、端の方に座り、サワーと焼餃子(320円)、シソ餃子(340円)を注文。
そしてヤツはやってきた。
これまでのナンバーギョーザのものと良く似ている。同じように、焦げ目の食感がカリッと印象的で香ばしくとても食べやすい。第6、7より中身の餡は薄めだが、その分サクサク食べられる。それでいて香味野菜っぽい風味も楽しい。美味いよ!
ある程度お腹がいっぱいでも、スルリと食べられる気持ちの良い餃子だ。シソの方は、シソの風味がかなり強く効いて超サッパリ系。女性向け。
(こちら、店内やメニューの写真はNGのため、料理写真のみでお送りします)
カウンターから、気の良い大将が話しかけてくれる。酒も手伝って、話が弾む。
さらに、石川名物のとり野菜みそ鍋や、ブリの照り焼きや美味しいおでんをパクつき、今日のオススメの刺身も、大将のご厚意で割引価格で提供して頂く。
その全てが美味しく、金沢の地力をまざまざと感じさせるものだった。クソ安いバスに揺られてでも、金沢へ来て良かった・・・と思えた。
ただ、ここのご主人には、ナンバーギョーザの話は少ししづらい感じだったので、多くは聞かなかった。そして酒が入りすぎて、「石川のヒーロー松井秀喜は凄い!」という話に熱が入りすぎてしまい、周りをやや引かせた後、千鳥足で店を後にした。
【朝、豪快に寝坊する】
ちょっと寝すぎて、チェックアウト寸前の10時前に起床。昨日はバスで一睡もできず、睡魔のツケが溜まっていたのだ。無料の朝食も食べられず、一目散にレンタサイクルだけ借りてチェックアウトした。
10時。正直出足が遅くなったが、昨日お休みで行けなかった石川県立図書館へ。実は中心部から結構遠く、20分弱ほど自転車を漕いでようやく到着した。
【すげえぞ、石川県立図書館!】
さっそくレファレンスコーナーへ行き、昭和41年からの古い電話帳を、たくさん出して貰う。
その際に、司書の方へナンバーギョーザを探していることも伝える。
皆、第7ギョーザの事しか知らず、
「そうなんですか……それは探すのが難しそうですね……」
「へぇ…そういうのがあるんですね……探しますよ。」
不安になる反応だったが、司書の方にも、出来る限り調べてもらうことになった。
あまり期待はしていなかった。
しかし・・・
「ありましたよ。」
良い情報を見つけてくれた。地元金沢のタウン紙で、最近ギョーザ特集を相次いで行っていて、そこにナンバーギョーザも紹介されていたのだ。しかも、ネットでは見つからなかったレベルのことばかり書かれていた。
途中から、昔の地図を持ってきてくれて、それを、電話帳を読んで住所が特定できた場所、さらに、事前の情報でここでは無いか、と思われる場所を当てはめてみる。
すると・・・確かに場所がわかった、ことごとくわかった!
2時間ほどかかったが、第二、第三、第八、いずれの店の場所がわかった!ちなみに尾山神社の近くにある、朝日生命(このウラに第一があったという場所)も確認できた!
さらに、全国の第7ギョーザファンすら多くが知らないだろう事実が出てきた。
【第7ギョーザは2つあった!】
金沢のソウルフード・第7ギョーザ、実は「2つ」あったのだ。しかもチェーン店というわけでは無く、別々のものとして運営されていた。
そのうちに、第7ギョーザを運営していた荒木さんが、「第八ギョーザ」という風に名前を変えたとか。
多くは言わないが、聞いた話だと、すったもんだの末生まれたらしい第八ギョーザ。数年で姿を消した模様。
【全部場所がわかった!あとは見に行こう!】
とうとう、ナンバーギョーザの本当の場所を全部めぐる為の情報がそろった。ナンバーギョーザ探しという、謎の任務を遂行してくれた司書の方へ礼を言い、図書館を飛び出し、まず幻の「第八ギョーザ」があった所へ向かった。
【第八ギョーザは、民家になっていた※画像を入れ替えました】
「存在しないのでは無いか」と言われていた、第八ギョーザにとうとうリベンジ。
その場所は、当時ギョーザ店があったことなど想像できない、何事も無かったかのように民家が広がっている場所だった。そんなに時が経ったんだな。
この第八ギョーザは、ネットでも存在を言及する人が殆ど居ない店。周りの人の認識からも消された、数年間しか存在しなかった店。そんな幻の店の跡地に行くことができて幸せだ。
【元第7ギョーザ、そっくりそのまんまマンションになっている!】
ここで、第3ギョーザへ行く前に、金沢のソウルフード、第7ギョーザが移転する前の店舗を見てみよう。十字路の所にある、これだ。
見てくれ、そのまんまの形でマンションに!完全な居抜き物件だ。第7ギョーザファンの方は、ここに住めば、その残り香を嗅げるかも知れない。(隣の酒屋の店主さん曰く、物凄い人気で交通上の問題が生じ、第7ギョーザはやむなく移転したという)
そして激しい雪が降り続く中、僕は次へ急いだ。
【第三ギョーザの場所は、美術館があった※訂正あり】
第三ギョーザの店は、実は思ったのとかなり違うところにあったーー
当時の地図とかなり違っており、当時あった道路が無くなったりで、今の姿と照らし合わせるのに手間取った。だが当時から今も残る、「日本経済新聞の販売店」を物差しにすると、このあたり!
現在、不破医院の駐車場があるあたり。さらにすぐお隣には、大樋焼と加賀金沢の茶道文化にふれる美術館が立った。庶民のギョーザ屋の跡が高尚な場所に(訂正1:当初美術館の場所としていましたが、正しくは駐車場のようです、失礼致しました)!
(訂正2:新たに聞いた所によると、第三は白山市にあったそうです。ここは「影の第八ギョーザ?」とも言うべき店だったとか。詳しくは続編をご覧下さい。教えて下さった第五ギョーザのご主人と女将さんありがとうございます!)
(ホンモノの第3ギョーザの店には後日行きました)
【第二ギョーザの店は・・・上品な割烹料理屋になっていた】
昨日、正しい場所の見当もつかなかった第二にもリベンジ。
しかし、頼りになるのは、昭和38年当時の地図。そこに書かれている店は、今あるお店とは、ほとんど違っている。
ただ、ここで聞きかじった古地図のセオリーを紐解く。『古い地図を見るときは、「神社」を基準にして見れば良い』。神社は古くから場所を移動していない事が多いからだ。
そのとおり地図と現地を照らし合わせると、「お稲荷さん」があることがわかる。そことの路地を挟んだ位置関係と、近くのラーメン屋さんのご主人の方の話を参考にして場所を導き出すと、恐らくここだ。
有名人も訪れる名割烹料理屋、『魚常』の右半分がそれ! 写真と照らし合わせると、雰囲気的にもおさまりが良い。そして右隣は今も昔も変わらず、お好み焼き屋があったという。(ラーメン屋のご主人曰く、昔からお好み焼き屋だとか)
今では人通りの少ないこの道にあった店で、修行に耐え抜いた門下生たちが次々とナンバーギョーザ店を開き、金沢のギョーザシーンを彩っていったと思うと、凄く感慨深い。
【第一ギョーザの店の跡地で待っていたのは、松(まつ)だった】
旅の最後に、記念すべき元祖、第一ギョーザへ足を運ぶ。
「朝日生命があるウラあたりに屋台の店があった」と、第5ギョーザのご主人から聞いているのだ。つまり、このあたり。そこには立派な松があった。
ナンバーギョーザの祖となったゴッドマザー、柏野辰子さん。終戦後中国から何とか帰国し、この地で開いた、餃子の屋台・第一ギョーザ。苦労から生まれたギョーザは、ナンバーギョーザとして今も金沢の隠れソウルフードとして、この松のように根付いている・・・これにて、コンプリート達成。
そして俺は、再びあの第五ギョーザへ。色々教えて頂いたことに例を言いつつ、焼き餃子とラーメンと焼酎二杯で旅をシメた。
気がつけば僕は、店の女将さんにこう言っていた。
「今まで一番、楽しい旅でした!」
ここまで食べて、わかった『ナンバーギョーザの特徴』はこれだ!
①底の焦げ目がパリパリで香ばしい焼き餃子
②見た目が丸っこくてカワイイ
③香味野菜系の香りが香ばしい
④ニンニクは入っていない
確かにウマかった、金沢ナンバーギョーザ。まだその満足感は、俺の舌と脳裏に焼き付いている。
第七以外は凄く繁盛しているわけでは無さそうだが、地元民たちに確かに愛されている、居心地の良い店ということをビンビンに感じた。
そして酔っ払った足で、2500円の激安バスへ乗り込み、餃子で膨れる腹とともに揺られて、帰宅の途についた・・・。
【”第九ギョーザ”を探す、新たな目標が生まれた】
眠れないバスの中で、実は酒屋のご主人に聞いていた、ある言葉を思い出す。
なんでも、第八ギョーザをやっていた荒木さんの妹さんが九州へ渡り、そこで中華料理屋を開いており、そこでナンバーギョーザ的なギョーザを出しているかもしれないそう。今も、やっているかも知れない・・・という、まさかの情報を聞いたのだ。
とてもこの2日間では手に負えないので諦めたが、いつか時間があれば、そのお店も是非探し出したい。
幻の”第九ギョーザ(?)”探しは、また別の機会に・・・
—————————————————————————————————————-
【追記】
実は3月上旬にも、金沢へ行ってきた。
「第九ギョーザ~第十三ギョーザもあったらしい」などの、まさかのウワサを聞いたからだ。その旅によって得られたものは・・・
【第12ギョーザがあった!!?】
【第六ギョーザはもう一つあった!】
など、まだまだ僕なんか及びもつかない発見と再認識があった。第九~第十三ギョーザが本当にあるかはわからない。でも、こんなにおもしろい、ホントに日本であった物語は、そうは無いはずだ。
—————————————————————————————————————-
【さらに追記】
そして4月2日、どうしても知りたくなって、また金沢へ来た。そこで、第5ギョーザのご主人と女将さんから想像を超える情報を頂いた。
ナンバーギョーザのゴッドマザーこと柏野辰子(旧姓:原)さんは、満州鉄道の蘇家屯駅近くで、20代女子として物凄い大繁盛料理店「まとい食堂」を切り盛りし、多くの使用人を扱い、そしてその時に、すでに現在のモノに通ずるギョーザを提供していた!(極端に解釈すると、第0ギョーザのような存在かもしれない)
聞けば聞くほど、底知れない先人の凄さを感じる金沢のナンバーギョーザ。こんなにおもしろい物語がこの世にあるんだと、僕は本当に震えている。
これは、金沢という、魅力あふれる街にギョーザの神様が作ってくれた最高のおとぎ話・・・
金沢市伝説の激ウマ名店『ナンバーギョーザ』をぜんぶ巡ってみた(ちょっとだけ続き編)
静岡県沼津の”中央亭”https://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220501/22003420/の餃子も形状が似ていて、しかもどこで変化したのか「焼いてから、ゆでる」と言うワケのわからないアレンジが加わっていて独特です。ニンニクレスのところも同様で、機会があればぜひお試しください。
ものぐささん、良いご提案を頂きありがとうございます。
中央亭、確かに面白いですよね(以前仕事で調べてから気になってます)。
ラー油でなく一味唐辛子やからし油をかけて食べるのも、トリッキーで楽しそうですし。北口亭も含めて、沼津の独特の餃子文化ですよね。行列店の味の秘密を食べて確かめてみたいですね。
大分在住の者です。
金沢の餃子は食べた事無いのですが、佐賀県の武雄温泉駅近くに有る「餃子会館」という地元の人気店の餃子と見た目が似てる気がします。野菜多めの餡がたっぷり入った丸い大きな餃子で、揚げ焼きしたしっかりした皮が特徴です。私は好きでは無いのですが、息子が気に入ってます。
どうもありがとうございます。興味深いお店のご紹介ありがとうございます。ナンバーギョーザ特有の焼き餃子というよりは、第7のホワイトギョーザに似ている形ですね。また、ラーメンと一緒にホワイト餃子を食べられるというのは、ちょっと珍しいと思います。ガッツリ系の餃子が食べたい時は行ってみたいですね。
はじめまして!
金沢在住のものです^_^
素晴らしいレポート、参考になりました!
自分自身が住む街のことを、とても詳しく調べて頂いて、とても嬉しく感じてます!
ありがとうございます^_^
第1から第7まであったこと、場所については第6と第7まで、第6は2店舗あることまでは
知ってました^_^
ここまで、調べて頂いた内容はやはりたくさんの人に知ってほしいと思いますので、
シェアさせてください^_^
またまた、楽しく、感動するレポート!
お待ちしております^_^
kanmasuさん、どうもありがとうございます!金沢は魅力を感じる独自文化が多くて、僕も行きたいとずっと思っていた場所なので、探訪記をお褒め頂いてとても嬉しいです。
とても昔の話なので、まだ謎な部分もあり、推測・想像してみるだけで楽しくなりますよ。
餃子のほかにも食べ物がとても美味しいところなので、またいつか伺わせて頂ければと思います!
鹿児島にホワイト餃子があります。
形状もそっくり。
ただルーツは千葉という噂を聞いたので鹿児島のは違うかもしれませんが。
パリパリでパンのような皮で包まれたまるっこい餃子です。
餃子情報ありがとうございます。ホワイト餃子はナンバーギョーザ伝統の焼き餃子とは別になりますが、数少ない九州でのホワイト餃子提供店になりますね。僕は千葉が地元なので、数少ない千葉発の全国区グルメという、そういった意味では興味がありますよ。
石川県人です。大変素晴らしいレポートお疲れ様でした。県人としていろんなルーツが分かるのがとても楽しいです。今度はカレーに挑戦されては如何でしょうか?
第二ギョーザ近くに太鼓寿司、杉本と書いてありますがここに子供の頃、花見の帰りなどにここに行くのが通例だったので懐かしく思い出しました。私は今52歳なので第二ギョーザとニアミスしていたのかどうか分かりませんが不思議な縁を感じます。太鼓寿司のご主人奥様は既にお亡くなりになられていて詳しいことは訊くことが出来ませんが、娘さんがご健在なので会う機会があったら訊いてみようかと思います。
返信遅れてすいません、勿体無いお言葉とても嬉しいです!カレーもとても美味しいので、石川へ行ったときはチャンピオンカレーなどをよく食べています(東京に居るときはゴーゴーカレーも)。カレーに関しては結構他の方が明らかにしているとは思いますが、もし謎の部分があれば検討したいですね。
第二はコンニチハさんが物心つく前の数年前には無くなっているはずなので、ニアミスという形かも知れません。金沢は寿司も名高いですし、ぜひ娘さんと会った際には昔話に花を咲かせてみてくださいね。
第八餃子の跡地の民家の写真、叔母夫婦たちがかつて住んでいた家なので驚きました笑
今はあの家の向かいに新しく家を建てたので今度会ったら第八餃子を知らないか聞いてみます。
おお、それは良い偶然です! ありがとうございます、お待ちしています!
夜な夜な第7餃子は、学生時代よく行ってました。石引の表通りから脇道に移転した頃ですね。表通りのすぐ近くの「バーガーワン」だったかな。そこもよく行きました。バイク事故で入院してた時に友人が買ってきてくれて病院の前の車(セリカリフトバック)の中で食べたホワイトは、美味かった。でも翌日の病室の匂いはんぱねー。
関東に来てからもホワイト餃子食べてますが、第七とはちと違いますね。野田、越谷、巣鴨、日高、川越、長浜{滋賀)それぞれ味が違いますね。最近日高のが小さくなった。
辰井さん今後も頑張って!
良い思い出が伝わってくるコメントありがとうございます。ホワイト餃子、ちょっとずつ味が違うんですね。地元らへんの千葉の柏にも支店があったのですが、そこのホワイトも今度食べに行きたくなりました。あと昔からの流れを継ぐ焼餃子も大変おいしいので、よかったら今度食べてみてくださいね。
そして嬉しいお言葉、ありがとうございます、がんばります!
詳しい金沢餃子の解説、大変勉強になりましたm(_ _)m
どうもありがとうございます! 歴史のある街は、興味深い過去がいろいろありますね。
1994年3月まで金沢におり、ナンバー餃子の話聞いたことあります。橋場町の第三餃子は何回か行きました。寿司屋の近く。その当時で既に高齢のご夫婦がやってらしたこじんまりとした店。安くて旨かった記憶です。。
返信が遅れてすいません……おお、まさに寿司屋の近くだったんですね! ライターの仕事で「最後の一軒になったチェーン店」についてインタビューしたのですが、閉店の主要因として「店主が高齢化して、店を続けられなくなった」ことがやはり大きかったそうです。実際に店に行ったなどの、生きた記憶を持っている人が本当に貴重だと思い知らされます。過去に行って食べてみたい。