金沢市伝説の激ウマ名店『ナンバーギョーザ』を、第一~第八までぜんぶ巡ってみた

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金沢では北斗七星のように煌めく「ナンバーギョーザ」なる隠れた餃子の名店たちが、ひそかに長年愛されているとウワサで聞いた。

これは餃子の美味しい「第一餃子」という店から暖簾分けをした順に第二、第三…と名前が付けられていき、しかもことごとく美味しい、という伝説だ。

いつか確かめたい…と何年も悶々としていたら、とうとう数日間の休みが舞い込んだ。ネットでありったけの情報を調べて、マップを作成し、バスタ新宿最安レベルの、2000円の夜行バスへ飛び乗った。

近代的駅舎に不釣合いな僕(バスで全く眠れず、やつれた顔)

朝の雪の洗礼を浴びる中、着いたぞ金沢駅!

実はこのナンバーギョーザのうち、現存しているのは第5~7まで。他の店舗は閉店している。そして今や金沢でも、知る人ぞ知る存在で、今や知らない人も増えている。

そんな、時代に埋もれつつあるウラ・ギョーザカルチャー。それを、仕事でローカル情報を良く調べてきた俺が調べずに、誰が調べる?

これは消滅した店舗の跡地探訪も含め、「金沢ナンバーギョーザ完全制覇」に挑んだ、1人の独身男の記録だ。

 

【たぶん、日本最大のギョーザ店!第7ギョーザの店】
ケンミンSHOWなどでも話題となり、8番らーめんらと並ぶ、県民永遠のソウルフードと呼ばれるギョーザ店。中心部からレンタサイクルを馬車馬のように延々と漕ぎ、雑木林も増える郊外にそいつは現れた。

見えてきた『ギョーザ金沢城』(そして見えない右手には、郊外御用達のイオンがある)

3階建ての大きな建物の中は、1階が35席のカウンター席、2階は28部屋もの個室があり、3階は洋室(85人まで)と和室(35人)の2部屋の団体用個室がある。従業員の数は、アルバイトも含めて約100人という、ギョーザ界の巨人。(もしかすると、日本最大のギョーザ店かも知れない)

まだ昼前の11時15分ほど。空席はあるだろう…と入店すると、すでに店内は満席。それどころか、うなるほどの待ち人の数。壁側にある椅子に座り、空くのを待つ。

人がズラリと並ぶカウンター席、圧倒される(店員さんが「ドアの前は凄く危ないから
立たないで!」と、2分に1回くらい注意する、殺伐とした戦場)

長いカウンター席が、コの字型に並んだ、独特の座席のレイアウト。

後からどんどん人がやってきて、たちまち店内に40人位並ぶ、恐ろしい人気。まだ昼前だぞ!? そのまま20分近く待って、ようやく席に通された。

店員さんの調理を見ながら待てる(「俺のは今作ってるアレか?」とやきもきする)

数人ずつ席に通され、店員さんがいっぺんにオーダーを聞いていく。餃子に加えて、ごはんと汁物を一緒に頼むのがデフォで、大体の人はその3点セットで頼んでいた。

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実は以前、第7ギョーザへは来たことがあり、そのときはホワイト餃子10コ(450円)を注文した。

ドラクエの「こんぼう」のような恐ろしいフォルム

この「第7ギョーザの店」は、ナンバーギョーザの系統であると同時に、由緒正しき名店・ホワイト餃子グループにも、後に加入している北陸では唯一の、ホワイト餃子と呼ばれる、ダイナミックな餃子が食べられる店でもあり、さらに材料は独自に調達して、この店ならではの味を出している。

醤油とラー油を付けて豪快に頂く。凄い。何かカラアゲみたい。ガツンガツン歯で豪快に砕いて喰う、びっくりワイルド食感。

普段食べる、舌に吸い付く餃子の皮とは全く違い、食べる側もパワーが必要とされるような、スタミナフードだった。

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しかし今回はホワイト餃子では無く、焼き餃子大(7個 441円)を注文した。

ナンバーギョーザのホントの正統的餃子で、通が頼むのは『焼き餃子』らしい(第7さんが元々の修行で身に付けていた餃子は、ホワイトでは無くこちらの焼き餃子なんです。ホワイト餃子は後に修行で伝授されたもの)
ただそれは知られておらず、焼き餃子を頼む人は少なかった。ホワイト餃子はすぐ到着するが、焼き餃子は10分ほどかかって、待ちに待った着丼だ。

妙に丸っこくて可愛いギョーザ。うずまきを巻いてるお皿も良い

ホワイト餃子の無骨なフォルムとは打って変わり、焼き餃子は丸っこく、かわいいフォルム。ただ、丸々ガッシリと重い具材が詰まっている。

ずんぐりむっくりの1頭身ボディ。文字通り、食べちゃいたいくらいかわいい

パクつくと、香味野菜の香ばしさが鼻に広がる。パンを思わせるような小麦粉の芳しさが嬉しい。

中身はパンパン、皮はパンみたいに香ばしい。おどろくほど腹がふくれるぞ

噛んだときの豊潤な味わいが、味覚をとことん満足させてくれる。あと引くウマさだ。これは正直、ホワイト餃子よりもぜったいウマい!

豚汁も、お雑煮みたいで面白いスープの味で、焼き餃子の名パートナー。

ごちそうさま。ウマいものを食べた後に特有の、満足感とともに店を出る。

 

【第八ギョーザなんて、存在しなかった!?】
次に向かうのは、第八ギョーザ跡地。事前のネット調べだと、小立野小学校の裏にあった銭湯の近くにあったという。

「一般的にナンバーギョーザは、第一~七まで」と思われている事が多い。が、ネットで「第八ギョーザの野菜炒めは永遠の味!」と想い出を語っていた方が居たのだ。
出典:旅行会社のセールスマンの方のブログ

その、小立野小学校の銭湯の近くと思われる場所へ足を運んだ。

雪が降り続き、人影はまばらな郊外の町。誰も『第八ギョーザ』を知らず、心がヘシ折れる

雪がしんしんと降る金沢の寒い昼。近所の80歳位のおじいさんに話を伺う。だが、

「えぇ? 第八ギョーザなんて…知らないよ?」

という、予想外の返事。

「第七ギョーザのことじゃないの…? ちがうの? 第八ギョーザぁ…??」

と、ピンときてない。ここに住んで数十年、第八ギョーザには、とんとお目にかかったことは無いとか。

疑心暗鬼になりつつ、近くの八百屋さんの35歳の若旦那にも聞いた。
忙しい中で親切に応対してくれたが、彼も生まれてこの方、このへんに住んでいたものの、第八ギョーザの存在は、一切知らないという。

「なんだやっぱり、第7までか…」と未確認情報に踊らされた自分が哀しくなりながら、その場を後にした。(そのウラにあった、重大な事実はまだ知る由もない)

 

【第一、第二、第三…跡地の詳しい場所が出てこない!】
郊外を離れ、中心部にある第1、第2、第3のありかを探す。

まず第三ギョーザがあると聞いた、橋場町へ。

第三ギョーザは、シティモンドホテル(現:老人ホーム)の近くにあり、隣は園という喫茶店がある…らしいが、それらしきものは見当たらない。看板はまだあるというネット情報もあったが、見つからない。

寿司屋の並びを撮影。金沢中心部の中では、お店があまり無くて寂しい通り。

通りがかりの方に次々と声をかけるも、多くは「知らない」の返事。ただ、中には「寿司屋の並びにあったかも…」と教えてくれた人も居て、そこを撮影し、並木町にあるという第二ギョーザの跡地へ。

第二ギョーザは、ナンバーギョーザにとって特に重要度が高い店。
ナンバーギョーザの祖となったゴッドマザーが、柏野辰子(旧姓:原)さん。その辰子さんがはじめて本格的店舗を構えたのが、この第二ギョーザの店なのだ。ここから巣立った弟子たちが暖簾分けの形で、第三、第四、第五…と出店していったと聞く。

そんな第二ギョーザは、在りし日の貴重な写真が残されている。


出典:MRO北陸放送

時代を感じさせる写真。これを持って、近くの観光案内所・はやし菓子店さんの、眼力の強い店主にお話を聞く。この方がめちゃくちゃ愛想良かった。

「面白い旅ですね。並木町は川沿いです。そこに昔からある、魚常というお店があるので、第二ギョーザはそのへんだと思いますよ。今ではマンションになっているかも知れないなぁ」

有力な情報をくれた店主に礼を言い、向かう。川沿いの道に、確かに魚屋はあった。ただ…この並びのどこにあったか見当がつかない。

第二ギョーザはこのマンションに変わり果てているのか、どうなのか…
見当がつかず、遠い目をする午後

たまらず、周りの人に聞くも、詳しく知る人は居ない。

確かに、ギョーザ屋さん、あったわね。この近くには映画館もあって・・・」

昔話が出てくる人も居たので期待するも、詳しい第二ギョーザ店の場所は出てこなかった。

さらに、第1に至ってはホント情報が出てこない。尾山神社の近くでやっていたという話はネットにあったが、そこで人をいくら呼び止めて聞いても、新情報は皆無だった。

通り過ぎる人に声をかけて逃げられるウィッキーさん状態も味わい、暗澹とした気持ちに

ましてや第四に至っては、色んな方についでで聞いても、手がかりゼロ。

もっと知っている人が多いと思ったが・・・
金沢市民でも知る人の少ない、消え行くギョーザ文化。ナンバーギョーザのコンプリートは、僕が思っていたよりも、圧倒的に難しかった。

僕は最後の手段に打って出た。

 

【頼みの綱、図書館は……お休み!】
「電話帳に当時の住所があるかも…!?」
僕は、石川県立図書館に電話帳があるか電話した。しかし今日に限ってまさかのお休みで、電話が繋がらない。ネットの蔵書検索機能では、電話帳の情報が出てこない。

業を煮やした僕は、金沢市内の図書館に連絡し、どうにかそちらの裏ルートで調べてくれないか、と頭を下げた。その結果、何とか「昭和41年からの電話帳がある」というスーパーな朗報を聞き出した。

「これなら、何とかなるかもしれない…」
本日は早めに宿を探すことに。

 

【日帰りの予定→1泊2日に変更!】

低賃金な僕は、
①「じゃらん期間限定500ポイントが使える」
②「とにかく安い」
③「駅から近い」
④「レンタサイクルがタダ」
⑤「朝食無料」
という5点から、ホテルエコノ金沢駅前(4500円)に決定。

ビジネスホテルらしい、ザ・必要最低限の部屋。ビデオカード式の有料放送も完備。
2分位だけ、無料で見れたぞ

15時ちょっと過ぎにチェックイン。この部屋で一旦落ち着き、「となりのテレ金ちゃん(テレビ金沢)」を見る。地方局の情報番組特有の、妙にホッとする雰囲気。

ちょうどいい可愛さの地方局女子アナ。こんな金沢美女が吐き出す白い息を全力で吸いたい!

ちょっと癒やされてエネルギーを回復したら、早めに出かける。16時から、第五ギョーザがオープンするのだ。

 

【素朴かつナンバーギョーザの味を継承する、第五ギョーザ】
最古の現存ナンバー餃子の店となっている、「ギョーザの店 芳斉店(旧店名第五ギョーザ)」。すでに店名は変わったが、マニアたちには正真正銘の「第五ギョーザ」として知れ渡る。

大通りに面し、異様な雰囲気を放つ小屋。見物人は誰も居なかった

途中現れる、あぶない掘っ立て小屋を素通りしつつ向かう。

迷路のような住宅街に迷いながら、そいつはいきなり現れる

金沢の住宅街に突然現れる第五ギョーザは、実に家庭的な雰囲気。テレビからは地元局制作のニュース番組が流れる。ウットリするほど懐かしい雰囲気。

『ローカル番組とローカルCMを観ながら地元の中華屋でメシを喰う』
この世に幸せがあるとすればこれだ!
高すぎず、安すぎないちょうどいい価格のメニューが並ぶ。
オレンジジュースはいかにもバヤリースが出てきそう

昔ながらのワープロで書きました、という感じの素朴なメニュー表から、ナンバーギョーザ直伝の焼ギョーザ(5コ300円)に加え、揚げギョーザ(5コ300円)と焼酎(400円)を注文。

パリッパリの焦げ目が、銀色の皿で踊っている、50年前にタイムスリップしたような雰囲気の餃子

焼き餃子が到着。

ちょっと高そうな皿に入っているのも良い。タレも独特で、
なんかソースみたいな味がして、またそれがクセになるぞ

餃子の底の部分に野性的な焦げ目がある。これは、第7ギョーザの焼き餃子にもあった特徴だ。レトロなアルミの皿がまた嬉しい。食べてみると、「カシュッ」という食感も楽しく、焦げめも香ばしい。

香ばしい青臭さも、ナンバーギョーザの特徴。焼酎と一緒に流し込めば、
なんか今までの人生の全てを肯定できる気がする

中身が詰まっているし、質感や餡の風味は第7ギョーザの焼き餃子に似てる。「パンのような皮の風味」も共通だ。お店の家庭的な雰囲気にも合った、具材の美味しさと皮の香ばしさが引き立った、ウマい餃子だ!

揚げギョーザも美味しく頂いた所で、焼酎の勢いも手伝い、つい聞いてみた。
「僕、第一、第二、第三…って続いてる、ナンバーギョーザを探しに来たんですけど…」

狭い厨房で3人の方が調理する。たくさん人が居るので、何頼んでもすぐ出てくるぞ!

おっかなびっくり切り出したが、「へえ、それ探してるんだ!」と、身を乗り出して色々語ってくれた。

そして、いきなりびっくりするような情報を話してくれた。

 

【第八ギョーザはあった!】
近くに住んでいたはずの方たちが誰も知らず、想像上の幻の店舗と思われた、第八ギョーザはあった!

「第七ギョーザの近くにあったよ」とのこと。

かといっても、「35歳の人も知らなかったですよ」、というと、
「それは知らないかも知れない。あったのは、それより前の話だから」

第八ギョーザがあったのは、こちらが思ったよりも昔だった。

さらにご主人は、とんでもない事を言ってのけた。

 

【第四ギョーザはなかった!】
ここまで来て、異常に情報が少なかったのが、第4ぎょうざ。ネットで調べても、出会った人たちに聞いても、知っている人が誰も居なかった。「難攻不落の第四ギョーザ」だと思っていた。が、しかし。

「第四ギョーザ?無いよ。縁起が悪いから、第四は欠番なんだよ(「死」に繋がることから)

という、まさかの返事。これはどこにも無かった情報だった。確かに、全く情報が出てきていないというのはおかしい。
「そりゃあ、全然情報が出なかったはずだ!」

目の前に広がっていた真っ黒な雲がスッと晴れて、青空が広がった。

 

【第一ギョーザは、朝日生命のウラにあった!】
さらに、大苦戦するであろうと思った第一ギョーザの場所までわかった。その場所は、「朝日生命のウラ」だという。

出前も受け付ける、古き良き街の中華屋と言った風情。いつから貼ってあるのかわからない、
キリンラガービールのねーちゃんのポスターも良い!

1000円位の服に身を包んだ、得体の知れない旅人にここまで教えてくれたご主人と女将さん。そこには、金沢のギョーザを影でリードしてきた人の誇りがかすかに感じられた。

しかし、それぞれの詳しい住所まではわからないという。ということは、やはり自分で調べるしか無い。

そして、3杯目になっていた焼酎を飲み干し、僕は第五ギョーザを後にし、次の第六ギョーザへ向かった。

 

【居酒屋みたいなギョーザ屋だぜ!第六ギョーザの店】
金沢駅から離れ、西金沢駅の近くにある第六ギョーザの店。

闇に光る、レトロな紅白看板。闇夜の中だと、火の玉みたいに見える

まるで渋い個人経営の居酒屋のようで、気後れする。が、勇気を振り絞っていざ入店。

明らかに普通のギョーザ店とは雰囲気が違い、5秒戸を開けるのを躊躇した

中はまるで寿司屋のカウンターのような、古き良き居酒屋の佇まい(店内は撮影禁止)その完成された雰囲気に強く気後れするも、端の方に座り、サワーと焼餃子(320円)、シソ餃子(340円)を注文。

そしてヤツはやってきた。

丸っこいくちびるみたいな可愛いフォルムの餃子。サクサクいける美味しさ

これまでのナンバーギョーザのものと良く似ている。同じように、焦げ目の食感がカリッと印象的で香ばしくとても食べやすい。第6、7より中身の餡は薄めだが、その分サクサク食べられる。それでいて香味野菜っぽい風味も楽しい。美味いよ!

ナンバーギョーザの中では、もっとも”軽め”な第六餃子。
また、しそギョーザはけっこう酸っぱくてさわやか!

ある程度お腹がいっぱいでも、スルリと食べられる気持ちの良い餃子だ。シソの方は、シソの風味がかなり強く効いて超サッパリ系。女性向け。

(こちら、店内やメニューの写真はNGのため、料理写真のみでお送りします)

カウンターから、気の良い大将が話しかけてくれる。酒も手伝って、話が弾む。

さらに、石川名物のとり野菜みそ鍋や、ブリの照り焼きや美味しいおでんをパクつき、今日のオススメの刺身も、大将のご厚意で割引価格で提供して頂く。

さすが金沢!の美味しさ、今日穫れの刺身。僕の賃金では本当は食べてはいけない禁断の味。

その全てが美味しく、金沢の地力をまざまざと感じさせるものだった。クソ安いバスに揺られてでも、金沢へ来て良かった・・・と思えた。

ただ、ここのご主人には、ナンバーギョーザの話は少ししづらい感じだったので、多くは聞かなかった。そして酒が入りすぎて「石川のヒーロー松井秀喜は凄い!」という話に熱が入りすぎてしまい、周りをやや引かせた後、千鳥足で店を後にした。

 

【朝、豪快に寝坊する】
ちょっと寝すぎて、チェックアウト寸前の10時前に起床。昨日はバスで一睡もできず、睡魔のツケが溜まっていたのだ。無料の朝食も食べられず、一目散にレンタサイクルだけ借りてチェックアウトした。

10時。正直出足が遅くなったが、昨日お休みで行けなかった石川県立図書館へ。実は中心部から結構遠く、20分弱ほど自転車を漕いでようやく到着した。

思いっきり年季を感じる図書館。食堂も最近まであったらしいが、無くなったそう。
こういう所の食堂、たまらなく好きなのになぁ

画像出典:ホームメイトリサーチ

 

【すげえぞ、石川県立図書館!】
さっそくレファレンスコーナーへ行き、昭和41年からの古い電話帳を、たくさん出して貰う。

貴重な昭和41年の電話帳の表紙、強烈に時代を感じる。

その際に、司書の方へナンバーギョーザを探していることも伝える。

皆、第7ギョーザの事しか知らず、
「そうなんですか……それは探すのが難しそうですね……」
「へぇ…そういうのがあるんですね……探しますよ。」

不安になる反応だったが、司書の方にも、出来る限り調べてもらうことになった。

あまり期待はしていなかった。
しかし・・・

「ありましたよ。」

良い情報を見つけてくれた。地元金沢のタウン紙で、最近ギョーザ特集を相次いで行っていて、そこにナンバーギョーザも紹介されていたのだ。しかも、ネットでは見つからなかったレベルのことばかり書かれていた。

なぜ第7だけ数字?は「亡」に似ているから。この味のある看板、まだ現存していて欲しい

途中から、昔の地図を持ってきてくれて、それを、電話帳を読んで住所が特定できた場所、さらに、事前の情報でここでは無いか、と思われる場所を当てはめてみる。

すると・・・確かに場所がわかった、ことごとくわかった!

2時間ほどかかったが、第二、第三、第八、いずれの店の場所がわかった!ちなみに尾山神社の近くにある、朝日生命(このウラに第一があったという場所)も確認できた!

とうとう当時の住所を突き止めた。何かが報われた気がして、2017年で一番嬉しかった

さらに、全国の第7ギョーザファンすら多くが知らないだろう事実が出てきた。

 

【第7ギョーザは2つあった!】
金沢のソウルフード・第7ギョーザ、実は「2つ」あったのだ。しかもチェーン店というわけでは無く、別々のものとして運営されていた。

昭和45年の地図では、確かに第7ギョーザは2つある!

そのうちに、第7ギョーザを運営していた荒木さんが、「第八ギョーザ」という風に名前を変えたとか。

昭和50年の地図では、右の荒木店主の第7が第八に変わっている

多くは言わないが、聞いた話だと、すったもんだの末生まれたらしい第八ギョーザ。数年で姿を消した模様。

【全部場所がわかった!あとは見に行こう!】
とうとう、ナンバーギョーザの本当の場所を全部めぐる為の情報がそろった。ナンバーギョーザ探しという、謎の任務を遂行してくれた司書の方へ礼を言い、図書館を飛び出し、まず幻の「第八ギョーザ」があった所へ向かった。

 

【第八ギョーザは、民家になっていた※画像を入れ替えました
「存在しないのでは無いか」と言われていた、第八ギョーザにとうとうリベンジ。

その場所は、当時ギョーザ店があったことなど想像できない、何事も無かったかのように民家が広がっている場所だった。そんなに時が経ったんだな。

この第八ギョーザは、ネットでも存在を言及する人が殆ど居ない店。周りの人の認識からも消された、数年間しか存在しなかった店。そんな幻の店の跡地に行くことができて幸せだ。

 

【元第7ギョーザ、そっくりそのまんまマンションになっている!】
ここで、第3ギョーザへ行く前に、金沢のソウルフード、第7ギョーザが移転する前の店舗を見てみよう。十字路の所にある、これだ。

どうだ、何を隠そう『色を塗っただけ』!

見てくれ、そのまんまの形でマンションに!完全な居抜き物件だ。第7ギョーザファンの方は、ここに住めば、その残り香を嗅げるかも知れない。(隣の酒屋の店主さん曰く、物凄い人気で交通上の問題が生じ、第7ギョーザはやむなく移転したという)

そして激しい雪が降り続く中、僕は次へ急いだ。

 

【第三ギョーザの場所は、美術館があった※訂正あり
第三ギョーザの店は、実は思ったのとかなり違うところにあったーー
当時の地図とかなり違っており、当時あった道路が無くなったりで、今の姿と照らし合わせるのに手間取った。だが当時から今も残る、「日本経済新聞の販売店」を物差しにすると、このあたり!

現在、不破医院の駐車場があるあたり。さらにすぐお隣には、大樋焼と加賀金沢の茶道文化にふれる美術館が立った。庶民のギョーザ屋の跡が高尚な場所に(訂正1:当初美術館の場所としていましたが、正しくは駐車場のようです、失礼致しました)

(訂正2:新たに聞いた所によると、第三は白山市にあったそうです。ここは「影の第八ギョーザ?」とも言うべき店だったとか。詳しくは続編をご覧下さい。教えて下さった第五ギョーザのご主人と女将さんありがとうございます!)

(ホンモノの第3ギョーザの店には後日行きました)

辰子さん姉妹最後の生き残りの方に教えて頂いた。もともと美川町の新町(現・美川新町)にあったとか。駐車場の写真右側が第3ギョーザの店があった場所。左側には日用品店があった。のちに、蛇の目寿司となって神幸町へ移転した。当時、町ではギョーザの存在が知られておらず、あまり売れなかったが、熱狂的な中国人のファンが居たとか。金沢おでんも出していたそう。

 

【第二ギョーザの店は・・・上品な割烹料理屋になっていた】
昨日、正しい場所の見当もつかなかった第二にもリベンジ。

しかし、頼りになるのは、昭和38年当時の地図。そこに書かれている店は、今あるお店とは、ほとんど違っている。

ただ、ここで聞きかじった古地図のセオリーを紐解く。『古い地図を見るときは、「神社」を基準にして見れば良い』神社は古くから場所を移動していない事が多いからだ。

そのとおり地図と現地を照らし合わせると、「お稲荷さん」があることがわかる。そことの路地を挟んだ位置関係と、近くのラーメン屋さんのご主人の方の話を参考にして場所を導き出すと、恐らくここだ。

近くのラーメン屋の気の良いおっちゃんが色々喋ってくれて、ヒントもくれて嬉しかったぞ

有名人も訪れる名割烹料理屋、『魚常』の右半分がそれ! 写真と照らし合わせると、雰囲気的にもおさまりが良い。そして右隣は今も昔も変わらず、お好み焼き屋があったという。(ラーメン屋のご主人曰く、昔からお好み焼き屋だとか)

見えない右隣には今も昔もお好み焼き屋があるぞ。この写真の子どもたち、いま元気かな。

今では人通りの少ないこの道にあった店で、修行に耐え抜いた門下生たちが次々とナンバーギョーザ店を開き、金沢のギョーザシーンを彩っていったと思うと、凄く感慨深い。

 

【第一ギョーザの店の跡地で待っていたのは、松(まつ)だった】
旅の最後に、記念すべき元祖、第一ギョーザへ足を運ぶ。

「朝日生命があるウラあたりに屋台の店があった」と、第5ギョーザのご主人から聞いているのだ。つまり、このあたり。そこには立派な松があった。

大通りから一歩入り、人通りの少ない道に、ナンバーギョーザの全てが生まれた場所がある。
真っ暗になる前にここに来れてホント良かった。間に合った!

ナンバーギョーザの祖となったゴッドマザー、柏野辰子さん。終戦後中国から何とか帰国し、この地で開いた、餃子の屋台・第一ギョーザ。苦労から生まれたギョーザは、ナンバーギョーザとして今も金沢の隠れソウルフードとして、この松のように根付いている・・・これにて、コンプリート達成。

そして俺は、再びあの第五ギョーザへ。色々教えて頂いたことに例を言いつつ、焼き餃子とラーメンと焼酎二杯で旅をシメた。

やっぱり美味いぞナンバーギョーザ!金沢最後の晩餐なので、時間をかけて味わった
ラーメン(500円)は東京風では無く、醤油以外のコクが出て予想以上に美味しい。
第五ギョーザに来たら、外せない一品だぞ

気がつけば僕は、店の女将さんにこう言っていた。
「今まで一番、楽しい旅でした!」

 

ここまで食べて、わかった『ナンバーギョーザの特徴』はこれだ!
①底の焦げ目がパリパリで香ばしい焼き餃子
②見た目が丸っこくてカワイイ
③香味野菜系の香りが香ばしい
④ニンニクは入っていない

全体的に『汁物と一緒に食べると最高』のナンバーギョーザ。
寒い金沢の冬も、これがあれば越せそうだ

確かにウマかった、金沢ナンバーギョーザ。まだその満足感は、俺の舌と脳裏に焼き付いている。

第七以外は凄く繁盛しているわけでは無さそうだが、地元民たちに確かに愛されている、居心地の良い店ということをビンビンに感じた。

そして酔っ払った足で、2500円の激安バスへ乗り込み、餃子で膨れる腹とともに揺られて、帰宅の途についた・・・。

 

【”第九ギョーザ”を探す、新たな目標が生まれた】
眠れないバスの中で、実は酒屋のご主人に聞いていた、ある言葉を思い出す。

なんでも、第八ギョーザをやっていた荒木さんの妹さんが九州へ渡り、そこで中華料理屋を開いており、そこでナンバーギョーザ的なギョーザを出しているかもしれないそう。今も、やっているかも知れない・・・という、まさかの情報を聞いたのだ。

九州の方、”第九ギョーザ”について
知っている方はぜひご一報を(※ホワイト餃子で無く、焼餃子のお店となります)

とてもこの2日間では手に負えないので諦めたが、いつか時間があれば、そのお店も是非探し出したい。

幻の”第九ギョーザ(?)”探しは、また別の機会に・・・

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【追記】
実は3月上旬にも、金沢へ行ってきた。

第九ギョーザ~第十三ギョーザもあったらしい」などの、まさかのウワサを聞いたからだ。その旅によって得られたものは・・・

 

【第12ギョーザがあった!!?】

 

【第六ギョーザはもう一つあった!】

 

など、まだまだ僕なんか及びもつかない発見と再認識があった。第九~第十三ギョーザが本当にあるかはわからない。でも、こんなにおもしろい、ホントに日本であった物語は、そうは無いはずだ。

 

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【さらに追記】
そして4月2日、どうしても知りたくなって、また金沢へ来た。そこで、第5ギョーザのご主人と女将さんから想像を超える情報を頂いた。

ナンバーギョーザのゴッドマザーこと柏野辰子(旧姓:原)さんは、満州鉄道の蘇家屯駅近くで、20代女子として物凄い大繁盛料理店「まとい食堂」を切り盛りし、多くの使用人を扱い、そしてその時に、すでに現在のモノに通ずるギョーザを提供していた!(極端に解釈すると、第0ギョーザのような存在かもしれない)

当時の蘇家屯駅

画像出典:満洲写真館さん

 

聞けば聞くほど、底知れない先人の凄さを感じる金沢のナンバーギョーザ。こんなにおもしろい物語がこの世にあるんだと、僕は本当に震えている。

これは、金沢という、魅力あふれる街にギョーザの神様が作ってくれた最高のおとぎ話・・・

金沢市伝説の激ウマ名店『ナンバーギョーザ』をぜんぶ巡ってみた(ちょっとだけ続き編)

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